歴史繚乱ブログ

元禄事件(忠臣蔵)の考察、史跡廻りなど

韓国の歴史教科書「近現代史(政治③)日韓併合時代」

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民族の受難と抗日民族運動

日帝の植民政策

 国権を奪った日帝朝鮮総督府を設骰して植民統治を強行し、わが民族のアイデンテイティーを抹殺して日本に完全に「同化」させようとした。

 1910年代に日帝は武断統治を行って言論、集会、出版、結社の自由のような基本権を剥奪し、独立運動を弾圧した。また、日帝憲兵警察と憲兵補助員を全国に配置し、即決処分権を付与してわが民族を笞刑に処したりした。

 3・I運動以後日帝はいわゆる文化統治を標榜した。だが、これは苛酷な植民統治を隠蔽しようとする術策にすぎなかった。憲兵警察制を普通警察制に変えたが、警察の数や装備など警察力はむしろ強化した。また、日帝は少数の親日分子を育ててわが民族を分裂させ、民族活動家も懐柔する一方で、日帝に抵抗する独立活動家は徹底的に弾圧した。

 1930年代に日帝は大陸侵略を本格化し、韓半島を大陸侵略の兵姑基地とした。1940年代には太平洋戦争を挑発し、人的・物的資源の収奪をさらに強化した。この時期に日帝はわが民族のアイデンテイティーを完全に抹殺しようとする皇国臣民化政策を推し進めた。日帝は内鮮一体のスローガンを掲げて私たちの言葉と文字を使えないようにした。また。姓と名前まで日本式に直させ、皇国民の誓詞暗唱、宮城遥拝、神社参拝などを強要した。

 特に、日帝は強制徴用によって韓国人労働力を搾取し、学徒志願兵制度、徴兵制度などを実施して数多くの若者を戦争に動員した。また、若い女性を挺身隊という名前で強制動員して軍需工場などで酷使し、そのうちの一部は戦線に連行して日本軍慰安婦とする蛮行を犯した。

 

朝鮮総督

朝鮮総督府は日本軍の現役大将の中から任命され、日本国王天皇)の直属となって立法権司法権、行政権および軍隊の統帥権まで掌握した。

 

内鮮一体

内は内地の日本を、鮮は朝鮮をさす。日本と朝鮮は一体という意味で、韓国人を日本人に同化させようとした。しかしこのような同化も基本的には差別に基づいている。

 

日本軍慰安婦の実情

 日本帝国主義は1932年頃から侵略戦争を拡大し、占領地区で「軍人の強姦行為や性病感染を防止し、かつ軍事機密の漏洩を防ぐ」という口実でわが国や中国、台湾および占領地域の10〜20万人に及ぶ女性をだましたり、暴力で連行した。彼女たちは満州、中国、ミャンマー(ピルマ)、マレーシア、インドネシア、バプア・ニューギニア、太平洋のさまざまな島や日本、韓国などにある慰安所で人権を剥奪された性的行為を強要された。

 戦争が終わっても、帰国しない被害者の中には現地で捨てられたり、自決を強要されたり、虐殺された場合もある。運よく生存して故郷へ戻った日本軍「慰安婦」の被害者たちは、社会的な疎外と羞恥心、貧困、病弱となった身体で一生を呻吟しながら生きていかなければならなかった。<『韓国挺身隊問題対策協議会教育資料』I>

 

3・1運動

 わが民族はたとえ日本帝国主義の侵略によって植民支配を受けたとしても、光復への努力を続けた。1910年代に国内では多くの抗日秘密結社を組織して日帝に対抗し、国外では満州沿海州などで独立運動の基地を建設した。

 強占以後、日帝の武断統治によって勢力がかなり弱まっていた民族指導者たちは、第1次世界大戦の終戦とともに提唱された民族自決主義と、東京での2・8独立宣言に鼓舞されて、独立運動を準備した。そうして彼らは民族代表33人の名前で独立宣言書を発表し国内外に独立を宣言した(1919.3. I)。

 ソウルで始まった万歳デモ運動には学生、宗教家、商人、労働者が参加し、次第に地方都市に広がり、ついで全国各地の農村に波及した。非暴力運動で始まった万歳デモは次第に面事務所、憲兵駐在所、東洋拓殖株式会社など植民統治機関、親日地主などを襲撃する武力的な抵抗運動に変わっていった。また、3• 1運動は国外にも広がって満州沿海州アメリカ、日本などでも国外同胞によってデモが展開された。しかし日帝はあらゆる武力を動員して万歳デモを弾圧した。

 3・l運動は全民族が参加した大規模な独立運動で、わが民族の独立運動を一次元高める重要な分岐点となった。また、わが民族に独立の希望と自信を持たせ、国内外に民族の主体性を確認させるきっかけとなったばかりか、世界の弱小民族の独立運動に大きな刺激を与えた。

 

日帝の3.1運動弾圧

万戴デモが広がると、日帝憲兵警察はもちろん軍人まで緊急出動させてデモの群衆を無差別に殺傷した。清州、泗川、孟山、遂安、南原、陝川などでは日本軍警の襲撃で数十人の死傷者を出し、華城堤岩里では全住民を教会に集合させた後、監禁して火を付けて虐殺した。……当時万歳デモに参加した人員は200余万人、日本軍警に殺された人は7509人、負傷者は1万5850人、逮捕者は4万5306人、壊れたり、燃えた民家715戸、教会47ヵ所、学校2ヵ所だった。<『韓国独立運動之血史』>

 

大韓民国臨時政府

 3・l運動をきっかけにわが民族は組織的に独立運動を推し進め、国民国家建設を効果的に準備する政府を樹立しようとした。ソウルや沿海州、上海にそれぞれ政府が組織され、ついにこれを統合して上海に大韓民国臨時政府を樹立した(1919.9)。

 大韓民国臨時政府は民主主義に立脚した近代的憲法を持ち、民主共和制と大統領制を採択した。臨時政府は立法機関である臨時議政院、司法機関である法院〔裁判所〕、行政機関である国務院を置いて三権分立憲政体制を整えた。

 初期の臨時政府はあらゆる困難にもかかわらず国内外の民族独立運動を組織的、効果的に推し進める中枢機関の役割と任務を担った。また、連通制と交通局などを通して独立運動資金の募金や情報収集に寄与した。

 臨時政府はパリ講和会議に金奎植を代表として派遣して独立を主張し、アメリカに欧米委員部を置いて李承晩を中心に外交活動を展開し、韓国の独立問題を国際世論に訴えるよう努力した。

 また、臨時政府は愛国公債を発行し、機関紙として『独立新聞』を刊行し、史料編纂所を置いて『韓日関係史料集』を刊行した。

 自由主義と共和主義を基本理念として標榜した大韓民国臨時政府は、わが民族の主権を代表する政府として機能した。これとともに日帝強占期に独立運動を統轄する中心機構としての役割も果たした。

 

国内外の抗日民族運動

 第1次世界大戦以後、民族主義陣営では経済発展と教育振興を通して実力ピ養成しようという文化運動を展開した。

 民族主義運動が活発になると、日帝親日派を育成する一方、民族主義勢力を懐柔して民族運動を弱めた。これに、民族主義陣営は自治運動問題をめぐって妥協的な勢力と非妥協的な勢力に分かれて対立した。

 一方、1920年代には社会主義運動も活発になり、民族主義勢力と社会主義勢力が連合した新幹会が組織された(1927)。新幹会は自治論の広がりを憂慮した非妥協的民族主義者と社会主義者が民族協同戦線として組織したものだった。彼らは各地方を巡回しながら講演会を開き、朝鮮人に対する搾取機関撤廃、日和見主義排撃、朝鮮人本位の教育制度実施などを主張し、労働争議や小作争議、同盟休学な支援した。

 この時期に学生たちは、日帝の監視と弾圧の中でも民衆啓蒙活動や日帝の差別教育に反対する活動をくり広げた。彼らは主に秘密結社を組織して個別に活動を展開し、民族運動勢力と連動して6・10万歳運動を主導した(1926)。

 また、韓日学生の衝突事件をきっかけに光州学生抗日運動が起きた(1929)。公州学生抗日運動は全国的に広がり、3・I運動以後最大の民族運動に発展した。

 一方、国権を奪われた後、愛国の志士たちは間島や沿海州地方に集団居住地を切り開いて独立運動基地を建設し、抗日独立戦争を準備した。彼らはまず各地域を中心に産業を興して経済的土台を整え、青少年に民族教育と軍事炉を実施して武装独立戦争を遂行しようとした。

 3・I運動以後満州沿海州一帯で多くの独立軍部隊が組織された。彼らは鴨緑江豆満江を渡って国内の日帝植民統治機関を襲撃、破壊し、日本軍警と激しい戦闘を展開した。1920年には洪範図の大韓独立軍と金佐鎮の北路軍政署軍などが鳳梧洞や青山里で日本軍と戦闘をくり広げて大きな勝利をめた。

 日本軍はこれに対する報復として間島惨変を引き起こしてわが同胞を虐殺し、独立軍を討伐しようとした。このため、独立軍部隊は沿海州の自由市に移ったが、赤軍によって武装解された(自由市惨変)。以後独立軍は再び満州に移動して各団体の統合運動を推し進め、参議府、正義府、新民府の三府を組織した。このうち参議府は臨時政府が直轄した。

 1930年代に満州で活動した多数の独立軍は、韓国独立軍や朝鮮革命軍に統合された。これらの部隊は日帝満州侵略以後は中国軍と連合して多くの戦闘で勝利した。

 また、抗日武装闘争を展開する過程で義挙を起こして民族の独立意志を鼓吹し、日帝の侵略を阻止しようとした人々もいた。彼らは個別に活動したり、金元鳳の義烈団、金九の韓人愛国団で活動しながら、植民統治機関を破壊したり、日本人高官、親日要人たちを処断した。その中で代表的な人物は李奉昌尹奉吉だった。

 一方、1937年に日帝が中日戦争を引き起こして中国本土を脅かすと、大韓民国臨時政府では、満州地域の独立軍と各地に散らばっていた武装闘争勢力を集めて重慶韓国光復軍を創設した(1940)。臨時政府が日本に宣戦布告をした後、韓国光復軍は連合軍と共同でインドやミャンマービルマ〕戦線に参戦した。また、アメリカと協力して国内進攻作戦を準備したが、日帝の崩壊によって実現できなかった。

 その他に、満州地域では1930年代に入って中国共産党軍と連合した抗日遊撃隊である東北抗日連軍の活動も続いた。そして金元鳳を中心とした義烈団系統の人々は、中国国民党政府の協力を得て朝鮮義勇隊を組織し、朝鮮義勇隊から分かれた華北地方の朝鮮独立同盟系列の人々は朝鮮義勇軍を結成し、中国共産党軍と連合して抗日闘争を展開した。

 

間島惨変(1920)

独立軍に敗れた日本が間島一帯で同胞1万余人を虐殺し、民家2500余軒と学校30余校を燃やした事件。

 

三府の活動

これらは基本的には在満同胞の自治機構の性格を帯びていたが、自らの武装独立軍を編成して国境を越え、日帝と激しい戦闘をくり広げた。

 

主な義拳活動

姜宇奎:斎藤総督に爆弾を投げる(1919)

金益相:朝鮮総督府に爆弾を投げる(1921)

金相玉:鍾路警察署に爆弾を投げる(1923)

羅錫疇:東洋拓殖株式会社に爆弾を投げる(1926)

李奉昌:東京で日本国王天皇)に爆弾を投げる(1932)

尹奉吉:上海虹口公園日本戦勝祝賀式で爆弾を投げる(1932)

 

大韓民国臨時政府の対日宣戦布告文

われわれは3000万韓国人民と政府を代表して謹んで中、英、米、ソ、カナダ、その他の諸国の対日宣戦が日本を撃破し、東亜を再建するもっとも有効な手段となることを祝い、これに特に次の通り声明する7明する。

1. 韓国全人民は現在すでに反侵略戦線に参加したので、一個の戦闘単位として枢軸国に宣戦する。

2. 1910年の合併条約と一切の不平等条約の無効を重ねて宣布し、合わせて反侵略国家の韓国における合理的既得権益を尊重する。

3. 韓国、中国および西太平洋から倭寇を完全に駆逐するために最後の勝利を収めるまで血戦する。
4. 日本の勢力下につくられた長春および南京政権を絶対に承認しない。

5. ルーズヴェルトチャーチル宣言の各条をしつかりと主張し、韓国の独立を実現するためにこれを適用して民主陣営の最後の勝利を祈る。

           大韓民国臨時政府主席金九、外務部長趙素昴

ー『韓国の高校歴史教科書ー高等学校国定国史』(明石書店)よりー

 

 

ここからは大韓民国の建国神話、史実をベースに壮大なるフィクションを織り交ぜた韓国国内だけに通じるオリジナルストーリー(ネットではウリナリファンタジーと言うそうです(笑))です。ドラマの最後のテロップのように「この記述はフィクションです。関係する国・団体・個人とは一切関係がありません」とあれば、韓国の生徒も誤った歴史認識を持たずにすむのにね…。

ただのテロ行為・テロリストを義挙・英雄と教科書に列挙しています。2015年の現在になっても韓国でリッパート米駐韓大使襲撃事件のようなことが起こるのは教科書もが民族主義を煽っているのが一因ではないでしょうか。

 

全てに訂正を入れていきたいところですがキリがないので3点だけ

 

1920年には洪範図の大韓独立軍と金佐鎮の北路軍政署軍などが鳳梧洞や青山里で日本軍と戦闘をくり広げて大きな勝利をめた。

これらの部隊は日帝満州侵略以後は中国軍と連合して多くの戦闘で勝利した。

 

鳳凰洞・青山里の戦闘を、韓国では「青山里大捷」「鳳梧洞大捷」と呼び、独立軍が日本軍と全面戦争をした最初の独立闘争とし、「青山里大捷」では、日本軍に連隊長以下3,300人の戦死者を出させた独立軍の大勝利と謳っています。数年前には「鳳梧洞大捷」を扱った映画が韓国国内で大ヒットし、民族のアイデンティティーを満足させているようです。

実際は、日本軍による朝鮮人武装組織・中国人馬賊との戦闘、小競り合いであり、日本側は死者11人・負傷者24人・連隊長含め将校の死者なし、対し武装組織・馬賊側は死者90人、負傷者60人以上と、日本はゲリラの鎮圧に成功しています。

そもそも洪範図が大韓独立軍を組織したのは青山里戦闘の後です。独立軍団は、その後すぐに内部対立を起こし抗争後、瓦解します。瓦解後、洪範図はスターリンの命令でカザフスタン強制移住させられ、その地で一生を終えています。当時の日本も洪範図を危険人物と警戒していましたが、満州で在留邦人を脅かす匪賊として認識していたようです。

 

>彼女たちは満州、中国、ミャンマー(ピルマ)、マレーシア、インドネシア、バプア・ニューギニア、太平洋のさまざまな島や日本、韓国などにある慰安所で人権を剥奪された性的行為を強要された。

 

日本・朝鮮半島慰安所はない!

 

大韓民国臨時政府では、満州地域の独立軍と各地に散らばっていた武装闘争勢力を集めて重慶韓国光復軍を創設した(1940)。臨時政府が日本に宣戦布告をした後、韓国光復軍は連合軍と共同でインドやミャンマービルマ〕戦線に参戦した。また、アメリカと協力して国内進攻作戦を準備したが、日帝の崩壊によって実現できなかった。

 

あれ⁉︎宣戦布告されたっけ???(笑笑)

蒋介石の庇護のもと1940年9月に光復軍は設立されますが、臨時政府が国際的に承認されていない組織であるので、勿論、光復軍も正規軍ではないし連合軍に参加するしないというレベルの話ではありません。設立当初の人数はたったの30人!しかも、命令権・作戦権・人事権は中国国民党軍が持つという、それってただの国民党軍の下部組織じゃねって思うのは私だけでしょうか(笑)。おまけに青天白日の徽章も付けさせられています。ただの国民党軍の下部組織です(笑)

 

満州や中国で活動していた朝鮮人の独立活動家や抗日組織は、韓国の歴史教科書、韓国映画に出てくるようなものではなく、実態は、少人数・小規模な非合法組織であり、活動は散発的なテロ行為やゲリラ活動に終始するのみでした。いくつかの団体が作られては内部対立を起こし、分裂、解散を繰り返しています。まとまった組織にもならず、おおよそ訴求力のある組織は結局作られませんでした。

 

ー追記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

現在使われている改訂版の教科書では

「韓国では1894年から1945年までの50年間、日韓は戦争状態にあり、日本軍は朝鮮人数万人を殺した。東学党は日清軍と9ヶ月交戦して、死者は30万人にのぼった」

と記述してあるそうです。

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韓国光復軍は連合軍と共同でインドやミャンマービルマ〕戦線に参戦した。また、アメリカと協力して国内進攻作戦を準備したが、日帝の崩壊によって実現できなかった。

実際は、ミャンマー戦線で光復軍の9人が朝鮮半島出身の日本兵に対して投降を呼びかけただけの話です。国内侵攻作戦の準備とは、アメリカのCIAの前身であるOSSが工作活動に活用しようと特務工作訓練をさせていたことを「アメリカと協力して国内侵攻作戦を準備」と壮大に飛躍させているのでしょうか(笑)

 

世界はおろか蒋介石ですら政府とは認めなかった大韓民国臨時政府。現在の韓国は、この臨時政府を継承しているとし憲法にも明記しています。韓国では、韓国の建国を臨時政府が作られた1919年としています。勿論、韓国の建国は1948年で韓国以外の国では通用しません。

 ⚫︎日韓併合時代、極々一部の独立活動家を除いて大多数の朝鮮人(当時は日本人)が朝鮮総督府のもと抵抗せず平和裡に暮らしていたこと

  *1945年の朝鮮半島に住む朝鮮人(当時は日本人)の人口は約2,500万人です(朝鮮総督府統計)。1945年3月時点の光復軍の人数は471人(中国人将校を除く)(*光復軍の人数については諸説あります。アメリカの公文書には「かき集めても200人にもならなかった」とあります)、それに対し1938〜1943年の間の日本軍への朝鮮人(当時は日本人)志願兵は80万人強です。この数字は何を意味しているのでしょう。

⚫︎日本の終戦後、他のアジア諸国独立戦争を戦い独立を勝ち取ったのに対し、朝鮮半島アメリカ・ソ連から与えられた独立、建国であったこと=朝鮮民族が自らの手で独立を勝ち取っていないという負い目

この2点が韓国人のコンプレックスであり韓国が建国神話を創作せざるを得ない理由です。また同時に建国神話の建前がある以上、韓国は反日政策を取らざるを得ないのです。

日帝独占期に日帝から圧政、搾取、虐殺をされた→3.1運動→大韓民国臨時政府樹立→我が祖先は日帝に対しあくなき抗日闘争、抗日運動を展開した→抗日闘争、抗日運動の結果が実り独立、建国を勝ち取った」

臨時政府を韓国の前身と位置付けているのも韓国の正当性を示すためです。しかし、このような虚構と捏造にまみれた壮大なオリジナルストーリーは韓国以外では通用しません。

 

韓国人は日本に対し「歴史を歪曲している」「歴史修正主義」「日本人は過去を反省していない」とよく言います。しかし、このような歴史認識を持つ韓国人とどう歴史を共有できるのでしょうか。韓国人にとって都合の良いファンタジー歴史を日本に押し付けられても困ります。

韓国が日韓友好を望むなら先ず早急に虚構と捏造、反日に満ちた歴史認識を改め、反日政策をやめるべきです。

 

 

ー追記ー

韓国人は「日本は植民地時代に多くの朝鮮人を虐殺した」と主張してきます。韓国では3.1運動の死傷者についても教科書P126の図↓などを示し、生徒に「無辜の朝鮮人を日本人が虐殺した」とイメージ付けているようです。

この数字の根拠としている『韓国独立運動之血史』。著者は、大韓民国臨時政府2代大統領を自称した朴殷植で民族主義活動家です。『韓国独立運動之血史』は1920年に亡命先の上海で伝聞を元に書かれたものです。虐殺の死者を7509人とし、文在寅大統領も在任中に何度もこの数字を根拠に日本を非難する発言を繰り返しました。

非暴力・無抵抗を主張し3.1独立宣言文を読み上げた天道教ら3団体の代表者の意図に反して、デモは拡大し、殺人・破壊・放火という暴動へ発展しました。暴動鎮圧の際に、デモ側:死者553人・負傷者1409人、警察・憲兵側:死者8人・負傷者158人が出るという悲劇は起こりましたが、暴動の鎮圧であって決して日本が無辜の朝鮮人を虐殺した事実はありません。逮捕者1万2668人も公正な裁判にかけられ、うち8417人を起訴、1審で3967が有罪になりました。死刑・無期懲役・15年以上の実刑もなく、結果、80人が3年以上の懲役(後に刑期は半分に減刑)になったというのが実態です。

3.1運動で逮捕され日本人から暴行の上、刑務所で死亡したといわれる女性、柳寛順。韓国では大学生が選ぶ英雄烈士1位にあがるほど英雄視されている人物ですが、これも真っ赤な嘘です。出回っている写真も彼女ではありません。2022年3月1日の式典で文在寅大統領は「1919年3月1日、名も無き人々が集まり太極旗を手に取りました」と演説しました。しかし、3.1運動のどの写真を見ても太極旗を振っている人は見当たりません。



↓ドイツにも宣戦布告してるってよ(笑)