日本が統治時代に建てた建物⑨(仁川②)
⬛︎仁川気象観測所(*現在は赤レンガの倉庫・旧庁舎跡のみが残る)
朝鮮での気象観測は日本領事館(*釜山・仁川・元山・鎮南浦・平壌)で行われていたが、日露戦争(1904年)における軍事ならびに航路保護の目的から1904年(明治37)3月、中央気象台(*現在の気象庁)が臨時気象観測所を開設する。第三臨時観測所の仁川では4月6日から日本居留地の民家を借用し気象観測を開始し、翌年の1905年(明治38)1月1日に当地に新庁舎が完成し移転する
仁川気象観測所全景
⬛︎仁川港穴門(虹霓門)(*現存する)
仁川港に隣接する日本人租界を拡張をするため南北を塞いでいた応峰山に作ったトンネル。設計施工は鉄道敷設を担当していた陸軍工兵隊が行った。通称「穴門」。1906年(明治39)着工、1908年(明治41)竣工
⬛︎税関倉庫(*現存する)
写真中央に映る建物が税関、右隅に映るのが現在も残る倉庫群、山の上には気象観測所も見える
写真右に映る倉庫が移設復元された建物である。但し往時の倉庫とはかなり違って復元されたようである
移設復元前の倉庫
⬛︎仁川神社(*現存しない)
現在の仁川女子商業高校にかつて建っていた神社。仁川神社は日本人租界の共有地として取得した土地に建立された。仁川女子商業高校には神社の玉垣や鳥居石柱痕跡・石灯籠が現存している
仁川神社社殿
⬛︎妙覚寺(*現存しない)
仁川女子商業高校周辺の民家に残る妙覚寺の石段
⬛︎月尾島遊園(*現存しない)
1918年(大正7)から遊園地として整備され、潮湯(*海水を暖めて入浴する施設)・海水プール・別荘などがあった
潮湯浴場
毎年、水泳選手が競泳する大プールや小プールがあった
浴湯より別館に通じる長廊下
遊園地全景
⬛︎仁川図書館 清光閣(*現存しない)
⬛︎仁川商業専修学校(*現存しない)
⬛︎仁川公立尋常高等小学校(*現存しない)
⬛︎仁川公立第二小学校(*現存しない)
⬛︎仁川寺町尋常高等小学校(*現存しない)
⬛︎仁川松峴尋常小学校(*現存しない)
統治時代に建設された公立小学校の校舎、西洋的で非常に豪華ですね。おそらく内地日本の小学校の多くは木造校舎だったでしょう…。
仁川には日本人が終戦時に残してこざるを得なかった会社や倉庫・住居がまだ数多く残っていますね。会社は韓国政府が観光資源として活用していたり、特に倉庫はカフェに、住居はそのまま韓国の方が住われているようです。日本人が引き揚げ時に港でポケットの中まで調べられ全てを朝鮮半島に置いてこざるを得なかったものです。建物から物一つに至るまで棚ぼたで丸々貰ったのが現在の韓国です。
現在、徴用工裁判が話題になっていますが、これらの日本資産は1965年締結の「日韓請求権協定」で両国政府が請求権を放棄したものです。日本政府が日本資産を放棄したのと同時に韓国政府は所謂、徴用工や軍人・軍属の未払い賃金の請求権を放棄しました(*未払い賃金は1965年「日韓基本条約」締結時の有償無償8億ドルに含み支払い済み,韓国内で請求があった場合は韓国政府が支払うことで合意済み)。徴用工裁判では韓国の大法院は日本政府に支払い義務があるとの判決を下しましたが、それでは日本が朝鮮半島に残してきた日本資産も返してもらいです。
統治時代の仁川港