歴史繚乱ブログ

元禄事件(忠臣蔵)の考察、史跡廻りなど

日本が統治時代に建てた建物⑱(釜山④)

⬛︎釜山(聖知谷)水源池(現:聖知谷水源地)

1909年(明治42)、釜山での日本人居住者の増加に伴い水不足解消のため建設整備された水源地。ダム・市街地への水道工事等は全額「釜山日本人居留民団」の出資で行われる。また当時、乱伐で禿山となっていた山々の水源地を守るため日本人の手によって植樹と保林が行わた。記録によると聖地谷だけで2,539,600本の植林が行わた。

現在この水源地は「釜山子供大公園 聖知谷水源地」として観光スポットになっているが勿論、日本の”ニ”の字もない。”ニ”の字もないどころが『明治四十二年』と竣工を記念して水源地に書かれていた文字が削り取られている有様だ。

 

 

⬛︎現:「40階段文化観光テーマ通り」にある40階段

こちらも釜山の観光スポットとなっている「40階段文化観光テーマ通り」。このテーマ通りの名称にもなっている40階段も戦前に日本人が作った石段である。1909年〜1912年頃に2つの山を削り道路を建設する際に建設されたものという。戦前の石段は釜山駅舎の近く、現在地より約30m北にあった。

朝鮮戦争では、北の南侵により避難民が釜山に殺到する。混乱した避難民は、釜山駅舎近くで釜山港が一望できる、この40階段を目印に待ち合わせ場所としたそうである。

 

 

⬛︎松島遊園地・松島海水浴場(現:釜山松島海水浴場)

1913年(大正2)日本人がこの一帯を開発、遊園地・海水浴場をはじめ料理屋・料亭・旅館が立ち並ぶ一大行楽地とした。釜山松島に限らず朝鮮半島で海水浴場を整備し海水浴を行楽としたのは日本人である。


 

 

⬛︎東莱温泉(現:東莱温泉)

統治時代に日本人が開発した温泉地。釜山軌道を経営していた大池忠助は、東莱温泉までの湯治客を輸送するため釜山市電を敷設する

 


⬛︎龍頭山神社(*現存しない,「40階段文化館」に龍頭山神社の手水鉢が現存展示されるのみ)

1678年(延宝6年)の「草梁倭館」落成の際、対馬藩主・宗義真が航海安全祈願ため当地に金刀比羅神社を奉祀したのが起源。1894(明治27)に社号を「居留地神社」と改め、1899年(明治32)社殿の造営とともに「龍頭山神社」と改称する