ふぁさっとブログ

元禄事件(忠臣蔵)の考察、史跡廻りから美容まで

鳥羽伏見の戦い⑱(大専寺・文相寺)

東軍の戦死者を埋骨しているお寺を2つ紹介します。 「大専寺」(京都府京都市伏見区淀下津町52) 大専寺 大専寺「戊辰役東軍戦死者埋骨地」碑長圓寺に建つ榎本武揚書「戊辰之役東軍戦死者之碑」に「戦死者埋骨地六所ニ存本寺一淀町光明寺墓地一大専寺一文相…

鳥羽伏見の戦い⑰(明親館跡)

淀藩藩校明親館跡(京都府京都市伏見区淀池上町106,現:京都市立明親小学校) 現在の京都市立明親小学校は、淀藩の藩校、明親館があった場所に建てられています。 明親館は、鳥羽伏見の戦いでは幕軍に貸与され、幕軍の松平豊前守が陣所としました。

鳥羽伏見の戦い⑯(光明寺跡)

光明寺墓地「戊辰役東軍戦死者埋骨地」(京都府京都市伏見区淀池上町) 戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い)による東軍戦死者の埋骨地については、長圓寺に建つ榎本武揚書「戊辰之役東軍戦死者之碑」に、「戦死者埋骨地六所ニ存本寺一淀町光明寺墓地一大専寺一文相寺…

淀城を案内するおじさんの正体とは⁉︎

あの有名な!?淀城おじさんに会わないかなと思いつつ淀城址に到着。 自転車を押して帰ろうとするおじさんを発見! 私の心の声「イターーーーー!!!」 おじさんの心の声(たぶん)「観光客キターーーーー!!!」 「淀城は初めてか?案内したろ。着いてき。…

鳥羽伏見の戦い⑮(淀城址)

「淀城址」(京都府京都市伏見区淀本町)幕軍本営は淀城下に置かれ、淀藩は陣所として松平豊前守に藩校明親館を貸与しました。鳥羽・伏見両街道で敗走した幕軍は4日の夕刻、劣勢の挽回を図るため淀藩に入城を願いましたが拒絶され、翌日、拠点のないまま千両…

鳥羽伏見の戦い⑭(妙教寺)

「妙教寺」(京都府京都市伏見区納所北城堀49)東軍の砲弾や、本堂内には東軍からの砲撃で砲弾が貫通した柱や外板が残っています。墓地内にも弾痕の残る墓碑があります。 妙教寺 妙教寺 本堂 「史跡 淀古城址 戊辰役砲弾貫通跡」碑 本堂前に建つ榎本武揚書、…

鳥羽伏見の戦い⑬(淀小橋)

「淀小橋旧跡」碑(京都府京都市伏見区納所町)宇治川に架かっていた、幅四間・長さ七一間の橋。幕軍は淀小橋を焼き後退しました。 「淀小橋旧跡」碑 以前の石碑。現在は、淀城址に移されています。 淀小橋(古写真) 「鳥羽伏見戦跡地」碑(京都府京都市伏…

鳥羽伏見の戦い⑫(千両松)

「千両松」鳥羽伏見の戦い1月5日の激戦地 千両松は、豊臣秀吉が値千両と呼んだ松があったことに由来します。しかし、慶応4年(1868)にはもう枯死していました。 千両松の戦いについては、長州第一中隊(奇兵隊)隊長として最前線で指揮を執った三浦五郎(後…

鳥羽伏見の戦い⑪(富ノ森・愛宕茶屋跡)

「富ノ森」(京都府京都市伏見区横大路富ノ森町)鳥羽伏見の戦い1月4・5日の激戦地です。 赤穂義士の富森(とみのもり)助右衛門。助右衛門の先祖はこの地の出身であり、冨森姓はこの地名に由来してます。 「愛宕茶屋跡」(京都府京都市伏見区納所中河原)幕…

鳥羽伏見の戦い⑩(玄忠寺・伏見薩摩屋敷跡・伏見尾張屋敷跡)

「玄忠寺」(京都府京都市伏見区下板橋町575)長州第六中隊(第二奇兵隊)が駐屯。境内には伏見騒動の小林勘次の墓と顕彰碑があります。 後年、長州第六中隊軍監兼参謀・林友幸が鳥羽伏見戦について語ったものが「維新戦役実歴談」に収められています。「維…

鳥羽伏見の戦い⑨(悟真寺③)

「戊辰役東軍戦死者埋骨地」本堂裏の墓所内にあります。埋骨地2ヶ所の内の1ヶ所、東北の墓碑 「戊辰役東軍戦死者埋骨地」墓碑 佐々木悦太郎の墓会津藩士。慶応4(1868)年1月4日伏見にて戦死、33歳 安達市太郎・河村鋼之進の墓浜田藩士。慶応4(1868)年1月4…

鳥羽伏見の戦い⑧(悟真寺②)

「戊辰役東軍戦死者埋骨地」本堂裏の墓所内にあります。埋骨地2ヶ所の内の1ヶ所、北西の墓碑 「戊辰役東軍戦死者埋骨地」墓碑 稲生新助の墓会津藩士。慶應4(1868)年1月4日伏見戦にて戦死、行年47歳 柴宮八三郎の墓会津藩大砲隊林隊々士。慶応4(1868)年1…

鳥羽伏見の戦い⑦(悟真寺①)

「悟真寺」(京都府京都市伏見区榎町713)東軍戦死者の埋骨地 悟真寺 門前脇に建つ「明治元戊辰年 伏見鳥羽戦役 東軍戦死者埋骨所」の標石 本堂前に榎本武揚書、十七日会建立の「戊辰之役東軍戦死者之碑」(明治40年(1907)建立) 「戊辰之役東軍戦死者之碑」…

鳥羽伏見の戦い⑥(東本願寺伏見別院・魚三楼)

「東本願寺伏見別院」(京都府京都市伏見区大阪町609)会津藩兵の宿所 東本願寺伏見別院 「魚三楼」(京都府京都市伏見区京町3丁目187)魚三楼 www.uosaburo.com 鳥羽伏見の戦いの際に薩摩藩の賄い方をした料亭です。 魚三楼 格子に残る弾痕跡

鳥羽・伏見の戦い⑤(御香宮・伏見奉行所跡)

「御香宮」(京都府京都市伏見区御香宮門前町174)薩長軍の本営。鳥羽での砲声が伏見にも響くと御香宮境内に砲台を築いていた薩摩軍から幕府軍・会津軍・新選組のいる伏見奉行所に向け砲撃が開始されました。 「明治維新 伏見の戦碑」(御香宮境内)筆は長州…

鳥羽・伏見の戦い④(法傳寺)

「法傳(伝)寺」(京都府京都市伏見区下鳥羽三町61)戊辰戦争東軍戦死者名簿,会津兵が使用した大刀・短銃・槍の穂先・砲弾大小などを所蔵しているお寺です。又、境内墓地には室町時代の珍しい八角五輪塔もあります。 法傳寺 左:「戦死者埋骨東北悲願寺墓…

鳥羽・伏見の戦い③(悲願寺墓地)

悲願寺墓地「東軍戦死者埋骨地」赤池から1kmほど南へ行った所にある共同墓地。東軍戦死者233名が埋葬されている。埋葬地は墓地内の真ん中辺りにあります。 戊辰戦争東軍戦死者之墓 戊辰戦争東軍戦死者之墓 「戊辰戦争東軍戦死者之墓この墓地には、鳥羽・伏見…

鳥羽・伏見の戦い②(安楽寿院・城南宮)

官軍の本営跡「安楽寿院」(京都府京都市伏見区竹田中内畑町74) 安楽寿院 鳥羽離宮跡 鳥羽天皇陵 「城南宮」(京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7) www.jonangu.com 薩軍の本営で、開戦と同時に城南宮から赤池の幕軍に向け砲撃が行われる。幕軍も城南宮へ…

鳥羽・伏見の戦い①(小枝橋)

「小枝橋」幕末当時の小枝橋は、現在の小枝橋より60mほど下流に架かっていました。 慶応4年(1868)正月3日朝、幕軍は旧幕府大目付滝川播磨守具挙を総大将に討薩表を掲げ鳥羽街道を北上します。小枝橋を渡ったところで薩摩藩監軍椎原小弥太・山口仲吾に阻止…

法住寺

法住持(京都府京都市東山区三十三間堂廻り655) hojyuji.jp 法住寺 大石内蔵助は、山科に隠棲中、この法住寺の身代わり不動尊像を信仰し、成就祈願を行っていました。また法住寺を同志との連絡、会合の場所ともしていました。 本堂には、四十七士の木像が安…

義士ゆかりの寺 西方寺

赤穂義士ゆかりのお寺、西方寺(京都市左京区北門前町482) 西方寺 本妙寺から30m程の場所にあるお寺さんです。 ohishimayu.hateblo.jp 赤穂義士の小野寺十内・小野寺幸右衛門(小野寺十内の嫡子)・岡野金右衛門(小野寺十内の甥)・大高源五(小野寺十内の…

“義士の寺” 本妙寺

師走です。師走といえばご存知“忠臣蔵” 12月14日は、“討ち入りの日″です。 討ち入り日の12月14日だけ、特別に一般公開される品々を紹介します。 “義士の寺”ともいわれる本妙寺(京都府京都市左京区仁王門通東大路東入北門前町490) 本妙寺 本妙寺には、「斎…

浅野内匠頭終焉之地

元禄事件(忠臣蔵)発端の張本人、浅野内匠頭が切腹した場所です。浅野内匠頭は、奥州一関、田村右京大夫の上屋敷で切腹しました。 訪れた2013年は、工事中で「浅野内匠頭終焉之地」石碑は一時撤去されていました。その半年後にも再度訪れたのですが、まだ工…

京都守護職屋敷門

「京都守護職屋敷正門」 幕末当時、京都守護職の屋敷は現在の京都府庁にありました。この門はその京都守護職屋敷の正門です。 現在は、京都市武道センターに移築され、武道センターの南門となっています。 京都守護職屋敷正門 京都守護職屋敷正門 菊の御紋の…

本間精一郎遭難の地

「本間精一郎遭難之地」碑(京都市中京区木屋町通四条上ル紙屋町) 本間精一郎は、越後出身の尊皇志士でしたが、弁舌さが災いして仲間である薩摩・土佐藩士らの反感を買い暗殺されました。 なお実際の暗殺地は、この「本間精一郎遭難之地」碑より数m南であり…