韓国の歴史教科書を批判する

韓国の主張する歴史、歴史教科書を批判します

日本が統治時代に建てた建物㉓(群山)

◼️群山税関(現:湖南関税展示館) 1908年(明治41)完成 ⬛︎朝鮮銀行群山支店(現:群山近代建築館) 設計は中村与資平、1923年(大正12)完成 終戦後、日本引き揚げが決まり、1945年(昭和20)10月末、共に働いていた日本人・朝鮮人行員は別れを惜しむべく…

日本が統治時代に建てた建物㉒(釜山⑦)

⬛︎釜山鉄道病院(*現存しない) 1901年(明治34)「京釜鉄道株式会社」設立時に設置した「草梁鉄道医務室」を前身に、1906年(明治39)7月1日、朝鮮統監府鉄道局が買収し統監府直営の「釜山鉄道病院」となる 大正時代の木造の病院 患者待合室 1923年(大正1…

日本が統治時代に建てた建物㉑(釜山⑥)

⬛︎釜山要塞 外洋浦砲台(現:旧日本軍砲陣地跡) 旧日本海軍は日露戦争に伴い鎮海湾を安全に使用するため、1904年(明治37)8月、第3臨時築城団を編成し加徳島に外洋浦砲台の建設に着工、同年12月に竣工する 「重砲兵二十八糎榴弾砲」操砲教練の様子(*写真…

日本が統治時代に建てた建物⑳(釜山⑤)

7月8日、安倍晋三元総理が凶弾に斃れられた。犯人の供述を鵜呑みにするなら統一教会への恨みだという。 統一教会は日本人に日本の朝鮮統治時代(*彼らは植民地時代という)の贖罪意識とやらを植え付け、そこに付け込み日本人から金銭を巻き上げ本国韓国へ送…

日本が統治時代に建てた建物⑲(釜山④)

⬛︎釜山(聖知谷)水源池(現:聖知谷水源地) 1909年(明治42)、釜山での日本人居住者の増加に伴い水不足解消のため建設整備された水源地。ダム・市街地への水道工事等は全額「釜山日本人居留民団」の出資で行われる。また当時、乱伐で禿山となっていた山々…

日本が統治時代に建てた建物⑱(釜山③)

⬛︎釜山商業学校(現:釜慶高等学校) 1906年(明治39)開校。現在の釜慶高等学校に残る校舎は1928年(昭和3)に完成したもの 「商業学校の桜」鎮海と同じく釜山にも日本人の手で桜が植えられ、多くの桜の名所があった ⬛︎総督府官立釜山中学校→釜山公立中学校…

日本が統治時代に建てた建物⑰(釜山②)

⬛︎釜山税関(*現在は尖塔の一部が残るのみ) 1911年(明治44)完成。現在は「税関ビル」の裏庭に尖塔の一部が展示されている ⬛︎釜山大橋 渡津橋(現:影島大橋) 1931年(昭和6)3月8日着工、1934年(昭和9)に完成した可動橋(跳開橋)。橋の長さ214.63m・…

日本が統治時代に建てた建物⑯(釜山①)

⬛︎慶尚南道庁舎(現:東亜大学校博物館) 1925年(大正14)竣工。朝鮮戦争では臨時首都庁舎として使用される 約10年前にエントランスに置かれた韓国の高麗犬?西洋建築とはミスマッチな気がするのは私だけだろうか… 門柱は当時のままである 博物館内に展示さ…

日本が統治時代に建てた建物⑮(統営・昌原・馬山)

⬛︎統営海底トンネル「龍門達陽」(*現存) 弥勒島と統営半島を結ぶ長さ483m・幅5m・高さ3.5mの日本人が作った東洋初の海底トンネル。1927年(昭和2)着工、1932年(昭和7)完成 ⬛︎昌原郡庁舎(*現存しない) ⬛︎鎮海憲兵分隊(馬山憲兵分遣隊)(現:現存す…

日本が統治時代に建てた建物⑭(鎮海②)

⬛︎日本海海戦戦勝記念塔(*現存しない,石段のみが残る) 旧日本海軍がバルチック艦隊を撃破した勝利を記念して建てられた塔。塔は連合艦隊の旗艦「三笠」の艦橋をデザインしたものといわれる。1929年(昭和4)完成 ⬛︎鎮海神社(*現存しない) ⬛︎海軍要港…

日本が統治時代に建てた建物⑬(鎮海①)

鎮海は日本が統治時代に計画的に建設した都市である。南下政策をとるロシアが朝鮮半島に不凍港をもつこと、朝鮮半島がロシアの影響化に置かれることは明治以降の日本にとり安全保障にかかわる脅威であった。朝鮮半島のロシアの影響力を取り払うために起こっ…

日本が統治時代に建てた建物⑫(大邱界隈)

⬛︎慶尚北道庁舎(*現存しない) ⬛︎大邱府庁舎(*現存しない) ⬛︎大邱郵便局(*現存しない) ⬛︎大邱府公会堂(*現存しない) ⬛︎煙草専売局 大邱支店(*現存しない) ⬛︎朝鮮総督府博物館 慶州分館 朝鮮総督府は朝鮮半島の文化財の学術調査・保存を目的と…

日本が統治時代に建てた建物⑪(大邱①)

韓国の慶北大学校は、日本統治時代に朝鮮総督府が創立した大邱尚州公立農蠶(蚕)学校(1921年開校)・大邱師範学校(1923年開校)・大邱医学専門学校(1929年開校)・大邱農業専門学校(1944年開校)を前身として創立された大学である。慶北大学校周辺には…

日本が統治時代に建てた建物⑩(大田)

⬛︎忠清南道庁舎(現:大田近現代史展示館) 設計は朝鮮総督府建築課の笹慶一・岩槻善之、1932年(昭和7)竣工 ⬛︎大田市長官舎(現:カフェ) ⬛︎朝鮮殖産銀行大田支店(現:メガネ屋) 1936年(昭和11)着工、1937年(昭和12)竣工 ⬛︎大田公立高等女学校 講堂…

日本が統治時代に建てた建物⑨(仁川②)

⬛︎仁川気象観測所(*現在は赤レンガの倉庫・旧庁舎跡のみが残る) 朝鮮での気象観測は日本領事館(*釜山・仁川・元山・鎮南浦・平壌)で行われていたが、日露戦争(1904年)における軍事ならびに航路保護の目的から1904年(明治37)3月、中央気象台(*現…

日本が統治時代に建てた建物⑧(仁川①)

1883年(明治16)に開港した仁川には日本人租界が置かれ、日本統治時代を通じて仁川は貿易港として発展しました。仁川には観光スポットになっている日本家屋、近代建築群以外にも数多くの近代建築・日本家屋などが残っており日本家屋には現在は韓国の方が住…

日本が統治時代に建てた建物⑦

⬛︎漢江鉄橋 1900年(明治33)7月5日、京仁鉄道の敷設権を得たジェームズ・R・モースが鷺梁津駅から京城駅(現:ソウル駅)までの単線(A線)を竣工する。その後、朝鮮半島での鉄道敷設権を取得した日本が複線化に伴いA線の上流側に漢江第二鉄橋(B線)を建設…

日本が統治時代に建てた建物⑥

京城帝国大学は1924年(大正13)日本の6番目の帝国大学として設立される。1924年(大正13)予科が設置され、1926年(大正15)法文学部・医学部の各学部を設置、1938年(昭和13)には理工学部が設置される。 ⬛︎京城帝国大学 予科本館(*おそらく現存しない。…

日本が統治時代に建てた建物⑤

⬛︎京城府庁舎(現:ソウル図書館) 設計は朝鮮総督府技師の岩井長三郎、1925年(大正14)3月着工、1926年(大正15)10月竣工。見学自由 ⬛︎高等法院・京城地方法院(現:ソウル市立美術館) 設計は朝鮮総督府技師の岩井長三郎・笹慶一、1928年(昭和3)竣工。…

日本統治時代の南大門通りを追体験する

日本統治時代の南大門通り(現:南大門路)を追体験してみましょう!鍾路の交差点を出発! 左は和信百貨店(*現在の鍾路タワーにかつてあった朝鮮資本の百貨店) ちょっと下がって南大門通一丁目 黄金町通り(現:乙支路)の様子。十八銀行前より東洋拓殖会…

日本が統治時代に建てた建物④(明洞界隈②)

⬛︎明治座(現:明洞芸術劇場) 玉田橘治、設計。1936年(昭和11)竣工 ⬛︎京城電気社屋(現:韓国電力公社) 渋沢栄一が社長を務めたことでも知られる京城電気株式会社の社屋。1928年(昭和3)竣工。朝鮮殖産銀行(*現存しない)の向かい側にあり、京城市電…

日本が統治時代に建てた建物③(明洞界隈①)

明洞、日本統治時代は「明治村」と呼ばれ日本人居住区・商業の中心地として発展しました。 下の写真は、三越百貨店京城支店(現:新世界百貨店)・朝鮮貯蓄銀行(現:スタンダード・チャータード銀行明洞支店)から北側、南大門路を撮影したものです。左に映…

日本が統治時代に建てた建物②(京城駅)

⬛︎京城駅(現:文化駅ソウル284) 朝鮮総督府庁舎を設計したドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデと日本人建築家塚本靖、設計のルネサンス様式の駅舎。1921年(大正10)着工、1925年(大正14)竣工 現在は「文化駅ソウル284」という名称で入場無料で一般公…

日本が統治時代に建てた建物①(朝鮮総督府)

⬛︎朝鮮総督府 ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデ、日本人建築家野村一郎・國枝博の設計によるバロック様式の庁舎。1916年(大正5)6月着工、1926年(大正15)10月竣工 天井のガラスドーム ⬛︎京城都市構想図 朝鮮総督府は、京城(現:ソウル)を近代的な…

韓国の歴史教科書「近現代史(文化③)1945年〜」

現代文化の成長と発展 韓国学研究の発展 光復を迎え、わが国の学術界は自由な研究と教育活動を基礎に日帝植民地の残滓を一掃し、断絶した伝統文化を復元して現代文化との調和をつくり出す努力を傾けた。 1950年代半ば以後、歴史学会、国語国文学云、韓国哲学…

韓国の歴史教科書「近現代史(文化②)民族抹殺政策」

日帝の植民地文化政策と国学運動の展開 日帝の民族抹殺政策 日帝は植民統治を合理化し、支配を円滑にするために皇国臣民化政策による愚民化教育を実施した。日帝の隠れた意図は、わが国の固有の文化を抹殺して日本に同化させることにあった。 日帝は国権強…

韓国の歴史教科書「近現代史(文化①)日帝による侵略」

(略) 開港以後、西洋科学技術に対する関心が高まると、電気、鉄道のような近代技術や西洋医術など各種近代文物が入ってきた。近代施設は日常生活を便利にしたが、列強の侵略目的に利用されたりした。 日帝は国権を奪取した後、同化と差別の二重政策を基礎…

韓国の歴史教科書「近現代史(社会②)韓国建国後の社会」

衣食住の変化 光復を迎えると、人々は日帝の強要によって着ていた国民服やもんぺを脱ぎ捨て、韓服を再び着た。 衣服の変化 ② 1930年代には洋服や洋装をする人が増えたが、戦時体制へと転換するにつれ日帝は国民服ともんぺを身につけるよう強要した。 ー『韓…

韓国の歴史教科書「近現代史(社会①)日韓併合時代の社会」

同胞の国外移住 19世紀後半、朝鮮社会には貧困と収奪、自然災害などで生計の苦しい人々が多かった。彼らの一部は新しい生活の根拠地を求めて満州や間島、沿海州、日本、アメリカなどに移っていった。 わが同胞が一番最初に移住した地域は満州や沿海州だった…

韓国の歴史教科書「近現代史(経済③)漢江の奇跡と日本の経済支援」

現在の経済成長と資本主義の発達 8.15光復と新しい経済秩序の形成 8.15光復は私たちの手で国家を樹立し、日帝支配の残滓の精算と各種改革の実施および制度整備などを遂行する出発点だった。しかし南北分断と政治低混乱で経済的困難はさらに厳しいものとなっ…