日本が統治時代に建てた建物㉓(群山)
◼️群山税関(現:湖南関税展示館)
1908年(明治41)完成
⬛︎朝鮮銀行群山支店(現:群山近代建築館)
設計は中村与資平、1923年(大正12)完成
終戦後、日本引き揚げが決まり、1945年(昭和20)10月末、共に働いていた日本人・朝鮮人行員は別れを惜しむべく支店の玄関で記念の写真撮影を行う。その後、朝鮮人行員へ業務の引き継ぎを完了させ、1945年(昭和20)12月15日、日本人行員は朝鮮人行員の見送りを受け群山を後にする
⬛︎十八銀行群山支店→朝鮮殖産銀行群山支店(現:群山近代美術館)
1907年(明治40)「十八銀行群山支店」開設。1936年(昭和11)朝鮮総督府財務局の指導で「十八銀行」の朝鮮にあった9つの支店は「朝鮮殖産銀行」に譲渡される。それに伴い「十八銀行」は朝鮮から撤退する
1907年(明治40)開設間もない頃の「十八銀行群山支店」
昭和になり洋館の建物に建て替えられる
⬛︎広津吉三郎屋敷(*現存する)
米穀商として財を成した広津吉三郎の屋敷。1935年(昭和10)完成
⬛︎群山府庁舎(*現存しない)
⬛︎群山商業会議所(*現存しない)
⬛︎群山公立学校(現:群山高等学校)
「群山高等学校」のホームページに掲載されている同校の校章・校旗。校訓の額の形式といい戦前のままなのか、戦後日本の学校を参考にしたのかは分かりませんが非常に日本の学校と似ています
⬛︎群山公立高等女学校(現:群山女子高等学校)
⬛︎群山公立普通学校
⬛︎群山公立尋常高等小学校
明治町通り
栄町