歴史繚乱ブログ

元禄事件(忠臣蔵)の考察、史跡廻りなど

韓国の歴史教科書「近現代史(経済②)日韓併合時代の経済」

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日帝の経済侵奪と民族経済運動

植民地収奪政策

 大韓帝国の国権を強制的に奪い取った日帝は、自らの経済的基盤を確立することに力を注いだ。日帝の目標は、日帝の商品と資本を輸出し、韓国の食糧と原料を収奪できるように経済構造を変えることだった。この過程で土地調査事業、林野調査事業を実施し、会社令、森林令、漁業令、鉱業令を公布した。

 1910年に始まった土地調査事業は、1912年に土地調査令が公布され、本格化した。この事業は土地の所有権、土地価格、地形および用途を調べるものだった。ところが総督府は当事者が所有権を証明できるときにだけ所有権を認め、大韓帝国政府の所有地や皇室所有地、未申告地および所有関係が不明な土地などは強制的に奪い取った。また、土地に対する地主の権利だけを一方的に認定し、農民が長く享受してきた慣習的な耕作権を否定した。その結果、数多くの農民が土地を失い、期限付の契約によって、地主の土地を借りて耕作する小作人が増えた。総督府は地税を賦課する対象を大いに増やし、土地価格を高く策定して土地税をより多く納めさせた。このようにして納められた土地税の大部分は植民統治の費用として支出された。

 これと合わせて日帝は会社令を公布し、会社を設立したり、解散するときに総督の許可を受けるようにした。これは韓国人の企業活動や資本蓄積を抑制することにより、産業構造を日帝の意図に従って再編するものだった。

 

農民と労働者に対する収奪

 1910年代末、第1次世界大戦が終わりいち早く成長していた日本経済は沈滞状態に陥った。すると日帝は、日本企業が韓国において食糧や工業原料を安く調達することができ、日本企業の韓国浸透を助ける措置を相次いで施行した。

 1920年から始まった産米増産計画は、さらに多くの米を日本に持っていくために推し進められた。この事業は水利施設の拡大と品種改良、化学肥料の使用増加などを通して行われ、大部分の地主は多少の利益を得たりしたが、小作農は水利組合費や肥料代金をはじめ各種の費用負担が増え、かえって大きな苦痛を味わった。結局地主はいち早く土地所有を拡大したが、自作農や自小作農は土地を失って小作農や火田民に転落するようになった。また、増加分の生産量よりずっと多い量の米が日本に積み出されていった。

 一方、1920年日帝が会社設立を申告制に変えて以後、綿紡績や食料品工業、鉱業分野に日本資本がさらに浸透し、労働者の数も大きく増加した。日帝は日本資本の高い利潤を保障するために韓国人労働者の弾圧に没頭したが、韓国人労働者は長時間労働と低賃金、民族差別まで受けながら酷使された。

 

日帝の兵姑基地化政策と軍需工業化

 1930年代以後、日本資本の浸透がさらに激しくなった。総督府が、日本は発展した工業地域として維持し、満州は農業や原料生産地帯とし、韓国は軽工業中心の中間地帯とするために、朝鮮の工業化政策をとったためだった。

 主に韓北部を中心に推し進められた朝鮮のエ業化政策は、大陸侵略のための戦争物資生産と密接な関連を持ちつつ推し進められた。日帝は電力資源を開発し、土地や労働力を安く供給し、鉱山資源を略奪した。この過程で日本の大資本がさらに浸透し、北部地方を中心に金属、化学など重化学工業が急速に成長した。

 総生産額に工業が占める比重も大幅に高まった。しかし、会社資本のほとんどは日本人が所有し、経営陣、上級技術者も日本人が中心だった。反対に、韓国人労働者は最低の労働基本権も保証されず、賃金や昇進でもさまざまな差別を受けた。結局、朝鮮の工業化政策は韓国人の労働力や資源を収奪し、日本資本の利益を極大化していく過程の一つにすぎなかった。

 

民族経済運動

 日帝強占期に農民は高い小作料と不安定な小作期間などで困難を味わい、労働者は低賃金と雇用不安などで著しい困難を味わった。しかし総督府は米の搬出のために地主を支援し、日本資本の利潤拡大のために労働者を弾圧した。これに対し、農民と労働者は小作争議や労働争議を起こしたが、これは生存権闘争であり、経済的民族運動だった。

 1920年を前後して多くの韓国人が企業活動に参加した。農業経営や商業活動を通して富を蓄積した地主や商人の一部が会社の設立に参加した。彼らは京城紡織株式会社や各地のゴム工場、平壌のメリヤス工場などを経営した。

 韓国人の企業活動が活発になり、民族企業を育成して経済自立をなし遂げようという物産奨励運動が起きた。この運動は1920年代初めから「私の暮らしを私の物で」というスローガンを掲げ、平壌から始まり全国に広がった。

 しかし、韓国人が営んだ企業が、総督府の支援を受ける日本人大資本と競争することは難しかった。したがって韓国人の企業活動は競争が激しくない分野で企業を運営したり、家内手工業と連係しながら中小工場を運営するものがほとんどだった。

 

戦時総動員体制と植民地経済の破綻

 1941年に日帝は、アメリカ海軍の基地があったハワイの真珠湾を奇襲して太平洋戦争を引き起こし、徴兵と徴用を通してわが国の人々を強制動員した。戦争末期には軍需物資の生産に集中するため、強制供出された金属類経済活動の統制を大幅に強化するなど戦時動員体制を実施した。税金を増やし、貯蓄を強要して用意された資金は軍需企業に集中的に投下された。また、鉱山や軍需工場に韓国人労働者を強制動員したりした。

 物資不足が深刻化すると、日帝軍需産業以外の企業活動を統制し、鉱物資源の略奪はもちろん、学校の鉄の門や家の匙まで強制的に奪っていった。この過程で、韓国人が営んでいた企業の中には事業をたたむ場合もあり、徴兵や徴用で連行された者の欠員を埋めなければならなかった人もひどい苦痛を味わった。

ー『韓国の高校歴史教科書ー高等学校国定国史』(明石書店)よりー

 

 

韓国の高校歴史教科書P195の図「米の生産量と輸出量および消費量」と、元データである『朝鮮米穀要覧』(朝鮮総督府農林局作成)を照らし合わると、教科書の数字に誤りがあることが分かります。

教科書では、1912年(大正元年)の日本への輸出高が2,910千石とあります。しかし、元データを見ると290石(291,022石)とあり、ケタが一ケタも違っています。これはうっかりミスでしょうか、それとも意図的なものなのでしょうか。韓国が搾取したと主張しているのは、この日本への移出(輸出)高です。『朝鮮米穀要覧』を見ていただければ分かりやすいのですが、移出高は朝鮮で生産した米の増加分を日本へ移出しただけであって決して搾取ではありません。

 

増加分の生産量よりずっと多い量の米が日本に積み出されていった

“ずっと“多い量と言えるでしょうか?

 

米の生産量についても間違いがあります。1930年(昭和5)の朝鮮での生産高は13,701,746石で教科書には13,701千石と記載するのが正しいです。朝鮮の米の生産高は、1931年(昭和6)年には19,502千石、1937(昭和12)には26,796千石に増加します。日本統治時代の1910〜1945年の36年間で米の生産高は2倍以上に増加しました。

韓国の歴史教科書が1912年の日本への移出高を一ケタ間違え、生産高が増加した1931年以降を削ったのはわざとではないでしょうか。統治時代の36年間で生産高が一番低かった年が1912年です。図が1912年から始まり1930年でキッているのは、生徒に生産高が伸びなかったこと、日本への移出=搾取が激しかったというイメージを植え付けるためではないでしょうか。

韓国の高校歴史教科書「米の生産量と輸出量および消費量」より

『朝鮮米穀要覧』(朝鮮総督府農林局作成)より

『昭和二年 朝鮮総督府統計年報』より

『昭和十五年 朝鮮総督府統計年報』より

 

現在使われている改訂版の歴史教科書では、「日帝独占期に入ると、米価が上がり朝鮮人が飢えた」と書かれているそうです。教科書の図からも、朝鮮人の消費量が日本人と比べて低いこと、減少している数字をもって、生徒に日本の搾取、略奪を印象付けているようです。

日本は人口の増加と1918年(大正7)に起きた米騒動を契機に土地調査事業の完了した1920年代から朝鮮での農業改革、米の増産「産米増殖計画」に着手します。日本の米不足を賄うためです。しかし、だからといって朝鮮人が飢えたということではありません。

日本が統治するまでの朝鮮は、“春窮″と呼ばれる春には毎年のように飢餓におそわれ、その上、支配階層の搾取により庶民の生活は困窮していました。庶民の主食は粟や稗などの雑穀が主食で、もともと白米を食べられる生活水準ではありませんでした。その後、朝鮮総督府主導のもと農業改革を行い、朝鮮での米の生産高は飛躍的に増加します。しかし、朝鮮で生産された米は朝鮮で消費するより日本へ移出(輸出)した方が儲かり現金収入にもつながりました。現金を得たことで、生活物資や新しい肥料を購入することができ朝鮮人(*当時は日本人ですが、分かりやすいように朝鮮人と表記します)の生活レベルは向上しました。米を高く売って現金収入を得、生活物資を買う。これは朝鮮に市場経済が始まっただけのことです。

また朝鮮内にはより安い満州で生産された米が輸入されていました。朝鮮半島は1919年(大正8)・1939年(昭和14)と大旱魃(ひでり)におそわれます。1919年の際は、朝鮮総督府が400万円(*現在の価値で約800億円)の緊急支援金を投じ飢餓対策を行いました。朝鮮が不作の年は、内地であった日本から支援米を送っています。

日本統治36年間を通じて朝鮮では一人の餓死者も出ていません。日本が朝鮮の米を搾取し朝鮮人を飢え死にさせたということは絶対にありえません。

日本(内地)からの支援米が到着したことを報じる新聞記事

 

『朝鮮米穀一覧』には雑穀の消費高、朝鮮人一人辺りの消費高も載せられています。表を見ると雑穀全般の消費高が増加していて、特に、粟・トウモロコシの消費高は2倍に増加しています。雑穀類についても生産高が増加していたことが分かります。稗が統治後25年でかなりの量が減少しているのも興味深いです。朝鮮人が稗を食べなくてもすむ生活が出来ていたことが窺えます。

雑穀類の年間消費量『朝鮮米穀要覧』より

朝鮮人一人辺りの年間消費量『朝鮮米穀要覧』より

 

日本では江戸・明治期に農業技術が発展し高い米の生産高があったとはいえ、昭和に入ってからも全ての日本人が白米を食べられていたわけではありません。都市部や富裕層以外の人々は麦飯や粟飯などの雑穀米を食べていました。庶民にとって白米は憧れの贅沢品で、軍隊に行けば白飯が食べられると入隊する人も大勢いた時代です。

朝鮮からの安い朝鮮米が入ってくることは日本の農家にとっては死活問題であり反対運動も起きました。日本国内では1930年(昭和5)に国内の大豊作と安い輸入米によって米価が暴落。翌年の1931年(昭和6)年は一転して東北・北海道は大凶作に見舞われ、前年の昭和恐慌とも重なり、不況で失業者があふれ、特に東北地方などでは農家の困窮が著しく、廃業する者、欠食児童、娘を身売りに出さざるを得ない人が続出しました。このような惨状を憂い青年将校昭和維新を掲げクーデターを起こしたのが2.26事件です。

朝鮮人は米を食べられなかった」「日本が米を搾取した」「日本軍が朝鮮人女性を強制連行し慰安婦にした」などと言うのは、当時の生活水準・社会情勢を無視した浅慮です。

 

日帝の目標は、日帝の商品と資本を輸出し、韓国の食糧と原料を収奪できるように経済構造を変えることだった。この過程で土地調査事業、林野調査事業を実施し、会社令、森林令、漁業令、鉱業令を公布した。

1910年に始まった土地調査事業は、1912年に土地調査令が公布され、本格化した。この事業は土地の所有権、土地価格、地形および用途を調べるものだった。

土地調査事業、林野調査事業、会社令、森林令、漁業令、鉱業令、土地の所有者・価格・地形・用途の調査

日帝が朝鮮を植民地化した事実と生徒を誘導したいようですが、賢い生徒辺りが「ただの近代化じゃないの⁉︎」と思ってくれると有難いのですがね…(笑)

日本が統治するまでの朝鮮には、測量・植林・灌漑・治水といった技術や近代法がありませんでした。水田の80%が雨水頼りで、溜池・ダム・貯水池もほとんどなく、土地の所有者関係もハッキリしていない状態でした。そのため、先ず朝鮮総督府が行ったのが土地の正確な測量です。測量をし土地の価値を査定し所有者を確定する。そして国民から公平に税を徴収する。コレって近代国家としては当然のことですよね。

ちなみに、この時、作成された地籍簿を韓国は現在も使っています。地籍簿だけじゃなく地籍図原図にしろ(*朝鮮総督府の作成した地籍原図は韓国が所有しています。朝鮮総督府が地籍調査をした際、基準点を赤坂にしたため韓国は現在でも自国で測量調査を行うことができません。GPSを使い測量しているそうです。残念なことにGPS測量では誤差が生じるそうです)海図にしろ行政システムにしろ、現在の韓国政府はアメリカの占領期に名称を少し変えたぐらいで朝鮮総督府を丸々受け継いているだけです。言い換えれば、それだけ朝鮮総督府の行政システムが良く出来ていたということではないでしょうか。

 

総督府は当事者が所有権を証明できるときにだけ所有権を認め、大韓帝国政府の所有地や皇室所有地、未申告地および所有関係が不明な土地などは強制的に奪い取った。

韓国では「日本が土地を奪った」「土地の40%を日本が強奪した」と教えています。

終戦までの12年を朝鮮総督府官吏として勤め、終戦時は江原道で内務課長をされていた西川清氏が回顧録朝鮮総督府官吏 最後の証言』(桜の花出版)で、「土地の所有について申し立てがあった場合は証明するものがなくても調査の上、なるべく朝鮮人の土地になるようにした」と語っておられます。朝鮮総督府が国有地にした土地は所有者が判明しなかった土地で3.26%です。

 

日本統治36年間で日本が朝鮮に投資した額は20億7892万円。現在の価値では63兆円といわれています。内数は、併合前1907〜1910年間の大韓帝国財政再建のために拠出した「立替金」「直接支援金」1億4,000千万円(*現在価値で18兆円),明治天皇の「臨時恩賜金」3,000万円(*現在価値で5兆3,000億円)です。

しかし、2020年出版された徳田克氏の著書『韓国の歴史を直視する』で、徳田氏が日本の投資額を詳細に算出されています。それでは、

 ・日本政府の予算・資金からの投資金 現在価値で40兆円

  (*1910〜1943年の間に、日本政府が朝鮮総督府へ補填した「補充金」(合計4億6,610万7052円)「公債」(合計15億9,363万8,633円))

 ・上下水道の整備費 現在価値で7,146億円

 ・学校施設の建設と運営 現在価値で14兆億円前後

 ・鉄道関連 現在価値で17兆2,000億円+α

 ・病院建設 4,200億円

 ・水豊ダムなどのダム・発電所・銀行などの建設 現在価値で44兆円

 ・未開拓地の開拓、干潟の改良、港湾施設の建設、監獄の改善、図書館・博物館の建設費など 金額不明

 ・技術、人材の提供 金額不明

これらを合計すると116兆3346億円+α(*日本人の住宅資産は除く)

但し、これには併合前1907〜1910年に大韓帝国に拠出した「立替金」「直接支援金」1億4,000千万円(*現在価値で18兆円),明治天皇の「臨時恩賜金」3,000万円(*現在価値で5兆3,000億円)は含まれていません。

 

これも合計すると日本が朝鮮半島へ投資した金額は現在価値で 約118兆346億円+α になります。

 

併合直後に明治天皇から朝鮮人に贈られた「臨時恩賜金」は、朝鮮人の生活向上のための基金となり、残りの半分は困窮する朝鮮人の直接支給などに使われました。また併合から10年間は朝鮮人所得税は免除され、その分を日本人が負担しています。

 

台湾・テニアンが黒字経営であったのに対し、朝鮮半島終戦まで日本政府の持ち出しによる補填で賄われ赤字経営で終わりました。資源もない朝鮮半島にどこの国も食指を伸ばさなかったわけです。

 

韓国人は決まって「近代化させたのは日本のためだ」「日本が近代化させていなくても朝鮮はいずれ近代化していた」と言います。

勿論、日本が朝鮮半島を近代化させたのは日本の国益のためです。朝鮮半島が中国・ロシアに取り込まれることは日本の安全保障に直結する問題です。また未開発の朝鮮半島の市場を日本の経済圏に組み込み発展されることは日本の経済発展にもつながることでした。

しかし、日本が朝鮮半島に介入し政治・財政などあらゆる改革を行なっていなければ朝鮮が近代化することはなかったと断言します。中国・ロシアに飲みこまれていたなら属国になり朝鮮人の生活水準は李氏朝鮮時代のままだったでしょう。「朝鮮人がいずれ近代化していた」これも絶対になかったと断言します。韓国人は李氏朝鮮大韓帝国の実態を知らなさすぎるのです。厳しい奴隷制度のもと、腐敗した王・両班は権力争いに終始し、民は貧困にあえぐ生活を強いられました。国家の体をなしていなかったのです。どこかの国が根本的に改革する以外、朝鮮の政治体制が変わることはなかったでしょう。「独立、独立」と呪文のように唱えるだけで近代化し庶民が貧困から脱出することが出来るのでしょうか。

 

日本に感謝しろとなどそんなおこがましいことは言いません。ただ、近代化し生活の質が向上したのは紛れもない事実です。いや寧ろ朝鮮の併合は、巨額を投資したのに赤字で終わり、おまけに現在も続く反日活動…日本にとって損でしかなかったと思います。

いい加減、韓国政府は捏造した歴史で国民を洗脳し反日を煽るのをやめてくだい。韓国人は政府やメディアのプロバガンダに洗脳されていることに早く気付き、正しい資料から理性的に日本統治を評価してください。

 

 

朝鮮総督府の官報や統計年報、計画書などは↓の国立国会図書館デジタルコレクションやアジア歴史センターなどから誰でも閲覧可能です。

dl.ndl.go.jp

www.jacar.go.jp