日本が統治時代に建てた建物⑦
⬛︎漢江鉄橋
1900年(明治33)7月5日、京仁鉄道の敷設権を得たジェームズ・R・モースが鷺梁津駅から京城駅(現:ソウル駅)までの単線(A線)を竣工する。その後、朝鮮半島での鉄道敷設権を取得した日本が複線化に伴いA線の上流側に漢江第二鉄橋(B線)を建設(1911年(明治44)着工、1912年(大正元)竣工)、1944年(昭和19)にはC線を完成させる。
1950年(昭和25)朝鮮戦争が勃発すると北朝鮮軍の南下を阻止するため3線は漢江人道橋とともに韓国軍により爆破される。しかし、装薬の不発により完全には破壊されず戦後に3線は復旧される。A線・B線については「日韓基本条約」(1965年)で受け取った経済協力金が使われ完全復旧を遂げる
⬛︎漢江人道橋(漢江大橋)
1912年、朝鮮総督府は漢江に人道橋(道路橋)の建設計画を策定する。漢江を車両や徒歩で渡ることが出来た最初の橋である。1916年(大正5)3月着工、1917年(大正6)竣工
漢江大橋は、朝鮮戦争中の1950年6月28日午前2時30分、北朝鮮軍の南下を阻止するため韓国軍によって爆破される。しかし爆破時、橋梁上には4,000人の民間人や車両が避難中であり爆破によって推定約500〜800人の民間人が死亡した(「漢江人道橋爆破事件」)
⬛︎龍山鉄道病院本館(現:龍山歴史博物館)
1907年(明治40)朝鮮統監府が「鉄道局ソウル診療所」を開院。1913年(大正2)に朝鮮総督府地方鉄道局直営の「龍山鉄道病院」と改称する。1928年(昭和3)竣工
⬛︎龍山駅(*現存しない)
1943年(昭和18)11月完成。現在は、京城護国神社への参道(石段)のみが残る(108ハヌル階段)
⬛︎朝鮮神宮(*現存しない)
1946年(昭和21)〜1947年(昭和22)撮影