韓国の歴史教科書を批判する

韓国の主張する歴史、歴史教科書を批判します

日本が統治時代に建てた建物④(明洞界隈②)

⬛︎明治座(現:明洞芸術劇場)

玉田橘治、設計。1936年(昭和11)竣工

 

 

⬛︎京城電気社屋(現:韓国電力公社

渋沢栄一が社長を務めたことでも知られる京城電気株式会社の社屋。1928年(昭和3)竣工。朝鮮殖産銀行(*現存しない)の向かい側にあり、京城市電(現:ソウル市電)も運営していた

 

 

⬛︎天道教中央大教堂

設計は、徳寿宮石造殿別館(現:徳寿宮美術館(国立現代美術館別館))を設計した中村與資平。中国人張時英が施工し、日本人技師古谷虎市が総監督を務め完成した大教堂。1921年(大正10)竣工

 

 

⬛︎丁子屋百貨店(*現存しない)

現在のロッテヤングプラザ明洞店に建っていた日本資本の百貨店。1921年(大正10)

1970年代の様子

 

 

⬛︎三中井(みなかい)百貨店本店

現在の明洞ミリオレビルに建っていた日本資本の百貨店

1905年(明治38)大邱に開業した三中井は、1907年(明治40)「三中井呉服店」に改名し1911年(明治44)本拠を京城に移転する。1929(昭和4)「(株)三中井呉服店京城本店」をオープンし、1933年(昭和8)新築・増築を重ね朝鮮最大級の百貨店「三中井百貨店京城本店」を完成させる。三中井は1945年(昭和20)の終戦時には朝鮮に12店舗、満州に3店舗、中国に3店舗を経営するなど巨大企業でした

釜山店

大邱

 

 

⬛︎平田百貨店

本町(*現在の忠武路)一丁目に建っていた日本資本の百貨店

 

 

日本統治時代、京城には日本資本の三越百貨店京城支店・丁子屋百貨店・三中井百貨店本店・平田百貨店、それに朝鮮資本の和信百貨店の5大百貨店がありました。

最近韓国では「朝鮮最初の百貨店は和信百貨店」とアピールしているようですが、朝鮮最初の百貨店は三越百貨店です。

三越は、1906年10月に本町一丁目(*現在のサボイホテル(忠路路1街23))に「三越呉服店韓国京城出張員詰所」を開設し、1916年(大正5)・1925年(大正14)に店舗を増築しました。1929年(昭和4)本町一丁目52番地の京城府庁舎跡を購入し新店舗の建設に着手し、1930年(昭和5)「三越百貨店京城支店」をオープンさせました。その建物は現在も新世界百貨店として活用されています。

 

 

⬛︎京城株式現物取引所(*現存しない)

1922年(大正11)竣工、2005年(平成17)解体撤去。朝鮮殖産銀行(*現在のロッテヤングプラザ明洞店)近くに建っていた建物。現在は飲食店が多く入った雑居ビル