韓国の歴史教科書を批判する

韓国の主張する歴史、歴史教科書を批判します

日本が統治時代に建てた建物③(明洞界隈①)

明洞、日本統治時代は「明治村」と呼ばれ日本人居住区・商業の中心地として発展しました。

 

下の写真は、三越百貨店京城支店(現:新世界百貨店)・朝鮮貯蓄銀行(現:スタンダード・チャータード銀行明洞支店)から北側、南大門路を撮影したものです。左に映る丸屋根は朝鮮銀行本店(現:韓国銀行貨幣博物館)、右隅に映るのは京城郵便局本店。「レートクレーム」の看板は、日本橋にあった化粧品会社、平尾賛平商会の白粉「レートクレーム」の広告看板です。

 

左:京城郵便局本館,右:三越百貨店京城支店(現:新世界百貨店)

京城郵便局本館は現存していません。勿体ない…

 

左:三越百貨店京城支店(現:新世界百貨店),右:朝鮮貯蓄銀行(現:スタンダード・チャータード銀行明洞支店)

 

 

広場を囲んで現在も残る4つの日本遺産。終戦の際に日本人が丸々置いてこざるを得なかった日本遺産、1965年(昭和40)の日韓基本条約で請求権を放棄した日本遺産です。明洞観光の際はぜひ立ち寄って先人の偉大さを感じてみてください。

 

⬛︎朝鮮貯蓄銀行本店(現:スタンダード・チャータード銀行明洞支店)

建築家平林金吾の設計。1935年(昭和10)竣工

 

 

⬛︎三越百貨店京城支店(現:新世界百貨店)

1930年(昭和5)竣工

三越百貨店京城支店」の案内図。地下と4階に食堂がありました

右側に映るのは5階の温室

三越らしい重厚感のある入口。時計下の黒いプレートは勿論「三越」でした

 

 

⬛︎朝鮮銀行本店(現:韓国銀行貨幣博物館)

設計は、東京駅や日本銀行本店でも知られる巨匠、辰野金吾。1912年(明治45年)竣工。礎石の「定礎」の筆は伊藤博文によるものです。現在は韓国銀行貨幣博物館として一般公開されています。

 

 

⬛︎東京火災保険株式会社京城支店(現:韓国銀行別館)

設計は、銀座和光・横浜ホテルニューグランドで知られる建築家、渡辺仁。1933年(昭和8)竣工。朝鮮銀行本店(現:韓国銀行貨幣博物館)の隣