日本が統治時代に建てた建物⑰(釜山②)
⬛︎釜山税関(*現在は尖塔の一部が残るのみ)
1911年(明治44)完成。現在は「税関ビル」の裏庭に尖塔の一部が展示されている
⬛︎釜山大橋 渡津橋(現:影島大橋)
1931年(昭和6)3月8日着工、1934年(昭和9)に完成した可動橋(跳開橋)。橋の長さ214.63m・可動部の長さ31.3m・幅18m。完成当時の正式名称は「釜山大橋」
「釜山府庁と前方に跳開せる釜山大橋の景観」
⬛︎釜山気象観測所(現:釜山地方気象庁)
朝鮮での気象観測は日本領事館(*釜山・仁川・元山・鎮南浦・平壌)で行われていた。日露戦争(1904年)を契機とし、軍事ならびに航路保護の目的から1904年(明治37)3月、中央気象台(*現在の気象庁)が臨時気象観測所を開設。釜山では同4月より気象観測を開始する
寶水町(現:寶水洞)に新築された最初の「釜山気象観測所」
1934年(昭和9)伏兵山へ移転新築。建物は船をイメージしたもの。1933年(昭和8)7月起工、1934年(昭和9)1月完成
「釜山気象観測所」は現在も韓国が「釜山地方気象庁」として使用している。国連の機関である世界気象機関(WMO)から「100年観測所」の認定も受けている。だが、もちろん韓国気象庁HPの沿革に「日本」のニの字も見当たらない。おまけに当地では道標石と思しき石柱が建物内に打ち捨てられている有様である
⬛︎東洋拓殖株式会社 釜山支店(現:釜山近代歴史館)
1929年(昭和4)9月竣工。朝鮮戦争ではアメリカ大使館として利用される
⬛︎釜山郵便局(*現存しない)
1876年(明治9)「日朝修好条規」が締結され日本は釜山に居留地を獲得する。居留地に設置された管理庁(*後に日本領事館)が同11月10日から郵便事業を始まる。1876年までの朝鮮では郵便業務と呼ばれるものがなかった。その後、郵便局は元山(1880年)・仁川(1883年)・漢城(後の京城→ソウル,1888年)と朝鮮各地に設置され、切手は日本切手が使用された。1896年(明治26)大韓帝国は日本の逓信省から顧問を招聘し朝鮮での郵便事業を近代化させる。
郵便業務の増加に伴い郵便事業を管理丁から分離独立するため幸町(現:昌善洞)に移転新築された「釜山郵便局」
大倉町(現:中央洞3街)に移転新築された「釜山郵便局」、1911年(明治44)竣工
「釜山郵便局」を中心として発展した大倉通り