韓国の歴史教科書を批判する

韓国の主張する歴史、歴史教科書を批判します

日本が統治時代に建てた建物⑥

京城帝国大学1924年(大正13)日本の6番目の帝国大学として設立される。1924年(大正13)予科が設置され、1926年(大正15)法文学部・医学部の各学部を設置、1938年(昭和13)には理工学部が設置される。

 

⬛︎京城帝国大学 予科本館(*おそらく現存しない。現在は駐車場か?)

上:平壌中学校,下:京城帝国大学

 

 

⬛︎京城帝国大学医学部附属病院(現:ソウル大学病院医学部博物館)

朝鮮総督府医院を経て1926年(大正15)京城帝国大学医学部附属病院となる。1908年(明治41)竣工。博物館の紹介記事には「大韓帝国の皇帝だった純宗の勅命により設立された」と記載されているようだが、日本の「宅地部建築所」の技術者、矢橋賢吉の設計で日本が資金を出し日本人が建てた病院である

 

 

⬛︎京城帝国大学 医学部本館(現:ソウル大医科大学本館)

1926年(大正15)竣工

 

 

⬛︎京城帝国大学 法文学部本館(現:韓国文化芸術振興院庁舎(芸術家の家))

1931年(昭和6)竣工

法文学部正門

 

正門

 

附属図書館

 

理工学部正門

 

 

⬛︎工業伝習所本館→京城工業専門学校(旧京城高等工業学校)(現:郵便局・放送通信大学歴史館)

工業伝習所は朝鮮における工業技術を伝習する教育機関として1910年(明治43)9月29日「朝鮮総督府工業伝習所官制」に基づき設置される。伝習科目は、染織・陶器・金工・木工及び応用化学の5科。1912年(明治45)3月に中央試験所が設置されると「朝鮮総督府工業伝習所官制」は廃止され工業伝習所は中央試験所に設置された。その後の1916年(大正5)4月に京城工業専門学校となる

 

 

⬛︎京城中央学校(現:ソウル中央高等学校 西館)

設計は朝鮮銀行本店(*「辰野葛西建築事務所」在籍中の作品)・徳寿宮石造殿別館(現:徳寿宮美術館(国立現代美術館別館))・天道教中央大教堂などを手がけた中村與資平。中村は1908年(明治41)に京城に移住し、京城に「中村建築事務所」を開設(1912年4月)。その後、朝鮮で多くの建物を手がける。1923年(大正12)竣工

 

 

⬛︎京城中央学校(現:ソウル中央高等学校 本館)

設計は中村與資平。本館は1917年(大正6)〜1923年(大正10)の間に竣工されたが詳細は不明

 

 

⬛︎淑明女学校本館(*現存しない)

設計は中村與資平、清水組施工により1920年(大正9)竣工。写真に「淑朋」と印字されているのは「淑明」の間違いかと思われる

 

 

⬛︎京城公会堂(*現存しない)

設計は中村與資平、清水組施工により1919年(大正8)竣工。京城府民館が建設されるまで日本人の社交場として使用された

 

 

⬛︎京城府民館(現:ソウル市議会)

設計は萩原孝一、1935年(昭和10)竣工。演劇公演なども行われた多目的ホール

 

 

⬛︎善隣商業高校(*現存しない)

設計は中村與資平、1913年(大正2)竣工。1899年(明治32)大倉喜八郎が創立した官立の商業学校。善隣商業は朝鮮代表として1933年(昭和8)夏の甲子園に出場している