韓国の歴史教科書を批判する

韓国の主張する歴史、歴史教科書を批判します

韓国の歴史教科書「倭寇についての記述」

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日本および東南アジアとの関係

 朝鮮は日本や東南アジア諸国との交流においては交隣政策を原則とした。高麗末から朝鮮初期まで続いた倭寇の侵略による弊害が激しくなると、朝鮮は水軍を強化し、性能の優れた戦艦を大量に建造した。特に、火薬の武器を開発して船舶に装着するなど倭寇の撃退に努めた。

 これによって侵略と略奪が難しくなった倭寇が平和的な貿易関係を要求してくると、朝鮮は一部の港を開放して制限された貿易を許した。しかし、その後も倭寇の略奪が続くと、これを強力に抑えるために倭寇の巣窟である対馬を討伐した。そのうえで倭寇の要求を受け入れ、南海岸の釜山浦、齋浦(鎮海)、塩浦(蔚山)などの三港を開放し、制限された範囲で交易を許した。

 また、朝鮮の初めには琉球、シャム、ジャワなど東南アジアの諸国とも交流した。これらの国は朝貢あるいは進上の形式で嗜好品を中心にした各種特産物をもたらし、服、生地、文房具などを回賜品として持っていった。特に、琉球との交易は活発で、仏教や儒教の経典、梵鐘、扇子などを伝えて琉球の文化発展に寄与したりした。

 

対馬討伐

倭寇の巣窟である対馬の討伐は高麗末期と朝鮮初期に行われた。1419年(世宗元)李従茂は兵船227隻、兵士1万7000人を率いて、対馬を征伐し、倭寇根絶の約束を受け、戻った。

ー『韓国の高校歴史教科書ー高等学校国定国史』(明石書店)よりー

 

 

言うまでもなく倭寇は、14世紀の前期倭寇は日本人・高麗人(朝鮮人)で構成されていて、後期倭寇は中国人の集団でした。しかも倭寇は辺境の民として扱われていたので高麗が日本に取り締まりを求めるというのもお門違いの話です。

高麗・李氏朝鮮倭寇征伐・対馬征伐とは体の良い大義名分で、要は対馬への侵攻と見るべきです。対馬は歴史的に何度も朝鮮半島からの侵略を受けています。

現在の韓国人の中にも「対馬は韓国領」と寝ぼけた考えを持っている人が多くいます。2008年には「対馬大韓民国領土確認、及び返還要求決議案」なるものが国家に提出され、議員連盟も結成されています。

韓国資本が対馬の土地を買い上げており、海上自衛隊に隣接する土地も韓国資本になっているのが現状です。韓国人による文化財の盗難事件も多発しており、日本国による早急の対馬防衛対策を望みます。