韓国の歴史教科書を批判する

韓国の主張する歴史、歴史教科書を批判します

韓国の歴史教科書「朝鮮半島からの文化伝来」

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 百済でも金属技術が発達した。4世紀後半に百済でつくられて日本に送られた七支刀は鋼鉄製で、金で文章を象眼した優れたものである。七支刀は百済の製鉄技術の優秀さをよく示している。また、百済銅大香炉は百済金属工芸技術が非常に優れていたことを示す傑作である。

 

七支刀

百済と倭の交流関係を示す遺物。日本の石上神宮に保管されている。

 

日本に渡ったわが国の文化

三国文化の日本伝播

 三国の文化は日本に伝わり、日本の古代文化成立と発展に大きな影響を及ぼした。特に、三国の中で日本と近かった百済が、三国文化の日本伝播にもっとも大きく寄与した。

 4世紀に阿直岐は日本の太子に漢字を教え、ついで日本に渡っていった王仁は『千字文』と『論語』を伝え、教えた。6世紀には奴リ斯致契が仏教の経典と仏像を伝えた。このように伝来した百済文化を土台に、日本の世界的傑作である広隆寺弥勒菩薩半迦思惟像や法隆寺百済観音像がつくられた。この他にも五経博士、医博士、暦博士天文博士、採薬師、そして画家や工芸技術者も渡っていったが、彼らによって木塔が建てられ、さらに百済伽藍様式が生まれた。

 高句麗も日本の古代文化に大きな影響を及ぼした。7世紀初めに曇徴は紙と墨の製造方法を伝え、法隆寺の壁画を描いたと伝えられている。僧侶慧慈は聖徳太子の師となり、慧慈は仏教の伝播に大きな功績をあげた。

 日本の奈良県明日香村で発見された高松塚古墳壁画が、高句麗水山里壁画古墳と酷似している点が高句麗の影響力をうかがうことができる。

 新羅は日本との文化交流は少なかったが、船を造る技術や堤防を築く技術を伝え、「韓人の池」という名前まで生まれるょうになった。三国の音楽も伝えられ、日本の音楽に大きな影響を及ぼした。このように三国の文化は6世紀頃の大和朝廷の成立や7世紀頃の奈良地方で発展した飛鳥文化の形成に大きな影響を及ぼした。

 

日本に渡った統一新羅の文化

 三国文化に続いて統一新羅の文化も日本に伝えられた。統一新羅文化の伝播は、日本から派遣された使者を通して行われた。元暁、強首、薛聰が発展させた仏教や儒教文化は、日本の白鳳文化の成立に寄与した。

 特に審祥によって伝えられた華厳思想は日本の華厳宗の成立に大きな影響を与えた。しかし、8世紀禾になり日本が都を平安京に移してからは、外国文化の影響から離れようとする動きが起きた。

 

白鳳文化

7世紀後半に発違した日本の古代文化で、唐と統一新羅の影響をかなり受けた。仏像、伽藍配置、塔、律令や政治制度で新羅の仏教や儒教の影響が大きかった。

ー『韓国の高校歴史教科書ー高等学校国定国史』(明石書店)よりー

 

 

韓国人が奈良へ行くのは、古代朝鮮文化を感じるためだと聞いたことがあります。奈良を旅し、自国には残っていない、整備されていない遺跡・文化財に接し、朝鮮民族の歴史や古代朝鮮に想いを馳せるそうです。

 

江戸時代の朝鮮通信使について、韓国の高校歴史教科書はこのように記述しています。

日本は彼らを通して朝鮮の先進的な学問や技術を学ぼうとした。したがって、通信使は外交使節としてだけではなく、朝鮮の先進文化を日本に伝える役割も果たした。

ー『韓国の高校歴史教科書ー高等学校国定国史』(明石書店)よりー

 

実際に韓国人の多くが日本の文化、知識は全て朝鮮から伝わったものだと信じています。これもやはり歴史教科書の影響が大きいと思われます。この誤った影響が韓国人に日本、日本人に対して勝手な優越感をもつという幻想におちいらせているのではないでしょうか。と同時に、長らく日本よりも遥に文化的先進国であり、師でもあった朝鮮半島を植民地化(実際は併合)したのが許せないという反日感情を抱かせる一因になっているものと思われます。

 

確かに、古代日本は朝鮮半島を通じ大陸の先進文化を欲しました。6世紀には百済から仏教、渡来した五経博士により儒教が伝えられ、医・易・暦などの学術も伝えられました。7世紀になると高句麗の僧曇徴より彩色・紙・墨の製法が伝えられました。

 

しかし、それは単なる百済高句麗の親切心だったのでしょうか。当時、朝鮮半島百済新羅高句麗が激しく勢力争いをしていた時期です。三国は、背後にいたヤマト政権を牽制するため、あるいは味方につけ軍事同盟・援軍派遣を乞うためにヤマト政権が求める大陸の先進文化を外交ガードとして使ったに過ぎません。いわばヤマト政権に擦り寄るためのプレゼントだったのです。石上神社に現存する七枝刀はまさに百済からのプレゼントです。プレゼントを持ち渡来した僧や五経博士は、同時に人質という存在でもありました。歴代の百済王には、人質として倭国で生まれ育った人物が多くいます。

7世紀になり倭国と長らく対立していた高句麗が突如として僧を渡来させたのにも理由があります。隋が中国を統一し、国境を接する高句麗が危機を感じ、ヤマト政権へ擦り寄ってきたのです。この後、高句麗と百済は競い合うように僧を渡来させています。

しかし、倭国聖徳太子厩戸皇子)の登場により、ヤマト政権は脱朝鮮半島に政策転換をはかります。戦乱に明け暮れる朝鮮半島への介入をやめ、直接、中国より先進文化を学ぼうとし遣隋使の派遣を始めます。

聖徳太子の政策転換により日本文化は、7世紀末の白鳳期には、唐・朝鮮半島とは異なる独自体系の儒学や詩文を生み出し、現在に至るまで日本独自の文化をうみ続けています。

 

韓国の高校歴史教科書、白鳳文化の注釈に

>7世紀後半に発違した日本の古代文化で、唐と統一新羅の影響をかなり受けた。仏像、伽藍配置、塔、律令や政治制度で新羅の仏教や儒教の影響が大きかった。

ー『韓国の高校歴史教科書ー高等学校国定国史』(明石書店)よりー

 

と記述されていますが…。白鳳文化が統一新羅の影響をかなり受けた文化といえるのでしょうか。高松塚古墳の壁画を教科書に載せたものだから白鳳文化とリンクさせるしかなかったように思い、強引な印象を受けます。