歴史繚乱ブログ

元禄事件(忠臣蔵)の考察、史跡廻りなど

韓国の歴史教科書「三国時代の伽耶諸国=任那①」

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三国の成立

 三国の中でまず最初に国家体制を整備したのは高句麗だった。国内城へ都を移した高句麗は、1世紀後半の太祖王に至ると、征服活動を活発に展開した。このような征服活動の過程で大きくなった軍事力と経済力を土台に王権が安定し、王位が独占的に世襲され、統合されたさまざまな集団は五部体制に発展した。

 以後、2世紀後半、故国川王のときには部族的な伝統を持っていた五部が行政的性格の五部に改編され、王位継承も兄弟相続から父子相続へ変わり、族長が中央貴族に編入されるなど王権強化と中央集権化がさらに進展した。

 百済は漢江流域の土着勢力と高句麗系統の流移民勢力が合流して成立したが(紀元前18)、優秀な鉄器文化を保有した流移民の集団が支配層を形成した。百済は漠江流域に勢力を拡張しようとしていた漢の郡県をくい止め、成長した。古爾王のとき漢江流域を完全に掌握し、中国の先進文物を受け入れて政治体制を整備した。この頃、百済は官等制唸整備して官服制を導入するなど支配体制を整備して、中央集権国家の土台を形成した。

 新羅辰韓の小国の一つの斯慮国から出発したが、慶州地域の土着民集団と流移民集団が結合して建国された(紀元前57)。以後、東海岸に入ってきた昔脱解集団が登場し、朴、昔、金の三姓が交代で王位を1占めた。有力集団の頭は尼師今(王)に推戴され、主な集団は独自の勢力基盤を維持していた。

 4世紀の奈勿王のとき、新羅は活発な征服活動によって洛東江東側の辰韓地域をほとんど領有し、中国央集権国家に発展し始めた。このときから金氏による王位継承権が確立した。また、王の称号も大君を意味する麻立干に変わった。一方、新羅の海岸に現れた倭の勢力を退ける過程で高句麗広開土大王の軍隊が新羅領土内に留まった利した。その後、新羅高句麗を通して間接的に中国の文物を受け入れながら成長していった。

 洛東江下流弁韓地域では、鉄器文化を土台に農業生産力が増大し、漸進的な社会統合を経て2世紀以後さまざまな政治集団が現れ始めた。3世紀頃には、これらの統合がさらに発展して金海の金官伽耶が中心となって連盟王国に発展した。これを前期伽耶連盟と呼ぶ。連盟の盟主である金官伽耶は金首露によって建国されたが(42)、その勢力範囲は洛東江流域一帯にわたっていた。

 伽耶の諸小国は早くから稲作を行うなど農耕文化が発達していた。また、豊富な鉄の生産と海上交通を利用して楽浪と倭の九州地方をつなぐ中継貿易が発達した。

 しかし、4世紀初めから百済新羅の膨張に押されて前期伽耶連盟は衰退し始めた。4世紀末〜5世紀初めには新羅を後押しする高句麗軍の攻撃を受けてほとんどが没落し、伽耶の中心勢力は解体され、伽耶地域は洛東江西岸に縮小した。

ー『韓国の高校歴史教科書ー高等学校国定国史』(明石書店)よりー

 

 

古代朝鮮半島倭国の影響力が及んでいた史実は、韓国が何としても隠したい歴史です。

⚫︎「辰(韓)」の時代より朝鮮半島南部には、倭人と韓人(現在の朝鮮民族とは別)が雑居し、特に朝鮮半島南端部には多くの倭人が居住していたこと

⚫︎倭・弁韓伽耶諸国=任那)・辰韓は極めて近い文化を共有し、特に倭・弁韓伽耶諸国=任那)は同じ文化を共有していたこと

⚫︎伽耶諸国=任那倭国の勢力圏、統治・支配地域であったこと

⚫︎全羅道(韓国南西部)に多く残る前方後円墳朝鮮半島南部から大量に出土する倭系遺物 

⚫︎百済加羅諸国任那倭人の高官が多くいたこと

⚫︎百済新羅高句麗倭国・中国への朝貢

 

また同時に朝鮮半島北部が中国に支配されていた史実も教科書では教えていません。

⚫︎衛氏朝鮮滅亡後の漢による421年の支配

 ●楽浪郡の記述は見えるが、帯方郡・公孫氏の記述は一切なし

 ●教科書では、三国の建国年をそれぞれ新羅(紀元前57年)・高句麗(紀元前37年)・百済(紀元前18年)としている。これは12世紀に編纂された『三国史記』を元にし、漢による421年の支配を隠すためであるが、史実とは3〜4世紀ほどの誤差が生じている。また新羅の建国が高句麗より古く設定されているのは、朝鮮民族の正統性を示すためにある

 

 

伽耶諸国=任那倭国の領土だったのか、少なくとも倭国の政治・軍事力の強い影響を受け庇護されていた地域だったようです。倭国は、伽耶諸国=任那から鉄や先進文化を享受し、その代わりに伽耶諸国=任那を三国から守る軍事力を担っていたのでしょう。

新羅高句麗百済伽耶諸国=任那での争いが始まると、三国プラス伽耶諸国=任那は互いを牽制、侵略するため、倭国の政治・軍事力を利用します。高句麗背後を狙う中国へも同じことで三国の倭国・中国への朝貢外交にあらわれています。