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元禄事件(忠臣蔵)の考察、史跡廻りから美容まで

鳥羽伏見の戦い⑮(淀城址)

「淀城址」(京都府京都市伏見区淀本町)
幕軍本営は淀城下に置かれ、淀藩は陣所として松平豊前守に藩校明親館を貸与しました。鳥羽・伏見両街道で敗走した幕軍は4日の夕刻、劣勢の挽回を図るため淀藩に入城を願いましたが拒絶され、翌日、拠点のないまま千両松・富ノ森での戦いをむかえます。劣勢挽回は不可能であり、八幡・橋本へと後退することになります。

 

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「淀城址」碑

 

本丸石垣跡

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天守石垣跡

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田邊冶之助は淀藩主・稲葉正邦の弟であり、淀藩が幕軍の入城を拒否した時は大手門の守衛を指揮していました。5日、入城を拒否した淀城に幕兵の一部が侵入します。守兵は直ちにこれを排除しましたが、冶之助はその報を聞くと守門の責任を痛感して自刃しました。

 

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「田邊治之助君記念碑 子爵稲葉正凱書」碑


西北隅櫓跡に建つ「明治天皇御駐蹕之址」碑

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「淀町出身戦没者 慰霊碑」

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淀の古い石碑を集めたもの。「唐人雁木」雁木とは石段の波止場の事で、納所町に朝鮮通信使の上陸する河港がありました。

 

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