歴史繚乱ブログ

元禄事件(忠臣蔵)の考察、史跡廻りなど

本間精一郎遭難の地

「本間精一郎遭難之地」碑(京都市中京区木屋町通四条上ル紙屋町)

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本間精一郎は、越後出身の尊皇志士でしたが、弁舌さが災いして仲間である薩摩・土佐藩士らの反感を買い暗殺されました。

なお実際の暗殺地は、この「本間精一郎遭難之地」碑より数m南であり、元は瓢箪路地という幕末当時には木屋町から先斗町に抜ける路地でした。現在、この瓢箪路地は塞がれており通行は出来ません。

 

 

※これより下の写真は私有地にて家主様の許可を得て撮影したものです。無断での立ち入りはされませんようお願い申し上げます。

文久2年(1862)閏820日の夜遅く、本間精一郎は、先斗町で一杯やった帰りに薩土の志士ら(*田中新兵衛岡田以蔵らといわれています)に襲われ、この路地を木屋町へ逃げようとし、はさみ討ちに遭い惨殺されました。

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現在も民家の格子には、その時の刀疵が残っています。

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f:id:ohishimayu:20201013154525j:plainさて、田中新兵衛か付けた刀疵なのか、岡田以蔵が付けた刀疵なのか、それとも他の志士か⁉︎

気になるところですね。